「こたつ問題」を如何に語るか問題(mosaki的東京経験値)




そこかしこで「こたつ問題」が話題になっているので、実際どんなもんか見に行ってみた。
mosakiブログを見に来てくれる方ならこの件について既にご存じかも知れないが、それなあに?というほんの数日前の私のような人のために「こたつ問題」の概要をここに記す。

・妻有アートトリエンナーレで、東大建築学科の学生二人組が出展した「みんなのこたつ」という作品がある。(以下「こたつ」と略す)
・これは公募の中から選ばれたもので、プレゼンテーションの内容はよかった。だから選ばれたってわけだ。
・ちなみに彼らはアイディアコンペでは何度も入賞している、プレゼンテーション上手なチーム。
・しかしふたを開けると、プレゼンの内容とは違った作品になっている、しかもかなり出来がひどい。一体全体、どうしたものか。

これが、建築系ラジオが命名するところの「こたつ問題」である。
放送については、こちら↓
建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」


見に行く道すがら、そのラジオを聴きながら向かった。そしほんの数分で、これは私にとって「こたつ問題」以前に「「こたつ問題」を如何に語るか問題」だということがわかったわけです。これについては後述することとして、まず作品自体を見た感想ですが、
「問題」というより、「事故」とか「事件」を 見てしまったような、後味の悪いショックがありました。他の多くの観客も、同じような感想だったと思うんです。以上です。あーあ、なんかがどうにかなっ ちゃって、結果こーなっちゃったのね、と、妄想ストーリーをぼんやり描いてみたりするしかないという。とりあえず話題はラジオに戻します。

他の建築関係からの出展作品についても、建築系ラジオ出演者たちはひどいひどいの大ブーイングで、建築は美術できんのか云々という議論もちらほら沸き上 がっていた。そして五十嵐太郎さんは9月28日、建築会館でこの問題について語るトークイベントを開催する。ゲストは彦坂尚嘉さん、タイトルは「アーティ ストの彦坂尚嘉さんと語る、美術と建築の批評の問題について」。

個人的には、建築と美術の関係性について語るのだとしたら、こんなネガティブなネタからスタートするのはどうかと思うし、美術と呼べない危うい作品なんてものは、出展者が建築系だろうとそうでなかろうと、そりゃ出てくると思うよ、あれだけの作品数なんだからさ。

けれど、少なくとも彼らが「批評」の問題にまで発展させること、特に今回のように学生の作品を批評の場に据えようとする姿勢は、有意義だと思う。出展する からには学生だろうが爺さんだろうがアーティストなんだから、批評されて然るべきだと思う。学生を発言力のあるメディアが公の場で批判するのは酷だ、なん てゆとりな野次は言語道断だかんね?

駄作「こたつ」を無視しないという態度をとるなら、これを介して語るべきことは、いろいろあると思う。五十嵐さんらが指摘する「批評」そのものについても然り、そもそも「こたつ」を選んだ側にも責任があると思うし、ましてや住民参加で制作されたものなら、制作過程の中で調整可能だったことも、あったはず。要は妻有アートトリエンナーレ側の問題も私はすごく気になります。また、「こたつ」チームのプレゼンが上手いのは彼らの才能であって、少なくともその発想までは評価されていたわけで。実現可能性について捉えることができないのだとしたら、それは彼らの問題か教育全体の問題か、もし後者だとするなら何をどうしていけばいいか。アイディアコンペとかプレゼンの能力って、建築にとって、実作にとって、何なのか。


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ラジオには数人のメンバーが出演していて、前述の通り五十嵐さんや彦坂さんは、ここから全体(建築、批評、教育など)にある問題を見いだそうとする姿勢が あった。つまり批判、批評であろうとする姿勢があった。しかし中には終始「あれひどいね〜クスクス」的な文句や嘲笑のままであるメンバーもいた。山田さん なんだけど。ご本人もこちらの意見をご存じみたいなので、書いちゃうけど。ごめんなさいね。でも山田さんの一連の発言は、放送全体の批評性を大きく下げる ものだったと、私は思う。

「わざわざ名古屋から出てきたのに」「3000円も払ったのに」「東大なのに」それ、全っ然批評じゃないで す。みなさんお嫌いの「思考停止状態」そのもの。今回、彼らが東大生じゃなければこんな言われ方されなかったかしら?無料だったら?会場が近かったら? (まあ東大=最高峰なんだからおまいらちゃんとしろよ、という、東大ブランドのイメージに則った期待感はわからなくもなけど、鬼の首とったかの如くpgr してんのは、聴いてる方としてはかえって微妙)。

居酒屋トーク的な本音って確かに面白いんだけど、山田さんの論調は、誰でも聴ける音声データとして一般に公表するにはどうかと思うレベルだった(番組を編 集、放送している松田さんにこの話をしたところ「まあ、山田さんは悪役をかってでたんだよ」とのこと。ちょw未熟なものは後から「フェイズだった」と言え ば済むとでも?元々熟考して仕組んだブックならまだしも、発信側のご都合による場当たり的な寸劇くずれなら誰も付き合わんし、そもそも要らんのです)。

とにかく私は「こたつ」という駄作よりも、ラジオの中でのこの問題の「語られ方」のほうに、ずっと大きな関心を持ったので「「こたつ問題」を如何に語るか問題」になったわけです。それが狙いだったんです、裏テーマだったんです、って言われちゃいそうねw

「「こたつ問題」を如何に語るか問題」の本質は、建築クリティックの人材が少ないことだと思う。せっかく音声によるメディアが作られたのに、こたつの放送 を聴く分には「この程度かよ」と思わざるを得なかった。今、日本の代表的な建築批評ってこんな感じです、って誰かに紹介するには恥ずかしい。人選、放送の プログラムといった番組制作側の問題かも知れないが、それ以上にまず、有能な批評家が少ないんだろうなと。五十嵐さんは、自分以外の書き手が足りないこと を10年くらい前から問題としていたけれど、現在もその状況はあんま変わってない。

これまで建築のメディアが書き手を育てたり発掘したりすることに鈍感で、パっと見ハクのつく建築家や大学の先生に、その都度その都度で「ちょっとコメント してくらさいお」という軽いノリで「視点」や「思考」を言葉にさせよう、提供させようとしてきた姿勢のツケかもね。もちろん書き手側もそれでよかったんだ よね、言論を発表することが建築村での大事件、大きな成果になってたから。おじさんの時代は、書き手も読み手も「難しいこと考えてます発表会」で満足でき ていたのかも知れない。今回の「こたつ」に関する山田さんの発言みたいなのも、悪のりです、言葉のお遊びです、で済んだのかも知れない。

そーいうおじさんのやり方を、これからも踏襲するつもりなのかどうかという点も、建築系ラジオの姿勢に問いたい。おじさんの遊び場、と割り切って付き合う しかないメディアもこれから残り続けるかも知れないけれど、「建築系ラジオ」という新しいメディアには、そこでこそできることを、して欲しい。建築を扱う メディアに関わる、自分への自戒も込めつつ。


追記:
ほんとは放送の中で、一緒に「こたつ」について話してはいるけれど、向かうベクトルが違っていることを、出演者同士で指摘し合えてたら、ぐっとクオリティが高まったと思うんだよね。ていうかそれだけで、私は恥ずかしいだのなんだのと文句言わなかった。

誰かが山田さんに、たった一言「それ批評じゃなくない?」って突っ込めてたらなあ。今日話してて、思い出した。慎也さんありがとう!


Re: this entry
From: hana Date: 2009/09/18 3:22 PM
ほとんどの人にとって「どうでもいい」というのが、本件への正当な評価だと思います。

五十嵐さんは批評家だから、批評の問題に発展した。私はメディアに関わるものとしてラジオを聴いてしまった以上、、建築メディアについて考えるきっかけになった。だから「「こたつ問題」を如何に語るか問題」になった。ということだと思うんです。
From: hana Date: 2009/09/18 2:18 PM
ちょっと余談ですが、彦坂さんのブログに、何度か本件について丁寧な記述があります。そのうち↓これ
http://hikosaka2.blog.so-net.ne.jp/2009-08-19-1
「こたつ」が実現不可能と判断された後、イメージ画がトリミングされたのではないかという疑惑w

個人的にはそんな阿呆なプロセスがまかり通っているトリエンナーレ側に憤りを感じます。このエントリは、読者からのコメントもえらい情報量ですね。

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