「以前のこたつ問題のラジオに対して、不快という反応が起きていたのですが、以下にご紹介するラジオは、大変に長いものですが、25分くらいからこたつ問題が語られています。
これへの反発が起きていて、さらに強い批判をなげかける反応が来ています。その反応のメールを引用できると良いのですが、個人メールということもあるので、控えます。
37B: オープンデスク学生との本音トーク「夏のオープンデスクを終えて」
松田事務所の日常
聴く: オープンデスク学生との本音トーク「夏のオープンデスクを終えて」
(MP3形式、38.4MB、1時間23分57秒)
コメント 11
彦坂さま
> その中に批評の自由や、言論の自由に対する配慮が無い事が気になります。
> 批評や言論と言うものは、不愉快なものなのです。
評論家の方々は、作家の作品を否定的に評論し、作家に嫌われたりするのをさけるという傾向があるのだろうかと思います。
自分の作品の評論を書いてもらう作家さんの方も、結局は自分の作品を基本的に好きな人で、好評し褒めてくれる人を選ぶという傾向もあるのではないかと思えます。
様々なアート関係のサイトやブログがありますが、その殆どは、どこどこの展示が面白かったとか、作品が良かったとかなどと、一つ間違えると単なる宣伝みたいな記事といえるのかいえないのかのようなものばかり。
美術評論家とは名ばかりで、評論せずにインタビューばかりになっていたり。
こういうことが続けば続くほど、表面的な美術史や美術評論みたいなのしか生まれないのではないかと思います。
美術評論ではなく、美術担当ジャーナリスト(?)が増えるばかりではないだろうかと思えるのです。
言論の自由と評論の自由が成立してこそ、画期的な美術史が書き残されると思います。
きゅうり様
笑いが不愉快だというのは、分かります。しかし、笑うしか無い、そしてひどい作品をつくったものを笑いものにすると言うのは、昔から人間がしている伝統的な行為なのです。
先日、私が運転手をしたツアーに参加した女性7人にも、こたつ作品を見せていますが、実物を見るとそのひどさが分かります。
こうした実物の作品のひどさと、それを批評し、批判する側と、そしてそれに不快感を感じるリスナーの関係は、奇妙な円環を描いているのです。つまりリスナーの中にある、他人の批評や非難に対する怯えが、こたつ作家の位置に,自分を置いているのです。
実を言うと、私自身は、こたつ作家を積極的に批判する気持ちは無いのです。まったく、馬鹿馬鹿しくて、黙殺します。もっとも、あまりひどいので、その場で
は、手をたたいて笑いましたが、こういうひどい未熟な作品は、美術界では5万とあるのです。非難していたら、始まらないから、無視するし、相手にしないの
です。
そう言う意味では、ほっておいて、こたつ作家を無視して、そしてまたコンペに出て来たら、300万円の賞金を進呈するのが良いとでもお考えなのでしょうか。そんな事をして行ったら、日本の建築界は崩壊しますよ。
昔、夏目漱石が書いた美術批評というものを読みました。激烈な言葉で批判しています。不愉快な文章ですよ。批評というのは、そうしたものなのです。その不快感をとってしまえば、提灯記事しか無くなります。
提灯記事を求める気持ちは分かりますが、提灯記事で埋め尽くされたマスメディアは、実は読者の信頼を失い、崩壊して行くものなのです。
じゃむ様
コメントありがとうございます。
以前、『美しい都市・醜い都市』という本のもとになった論考「景観を笑う」と同じタイトルで講演したことがあって、笑うという言葉に激しい不快感を示した
人がいました(タイトルを見て怒り、結局、講演に来なかったのですが)。僕の言葉だけですさまじい反応をしたことで、ああ言葉にはまだ力があるのだと思っ
たものでした。ともあれ、壊れた景観に怒ったり、悲しんだして、懐古的な「美しい」景観にいく保守的な言説が多いなかで、笑うという行為自体が別の道を示
し、破壊力をもつのではないかと思います。
こ
たつ問題を全員が怒りながら語ればよかったとも思えません。悲しみながらしゃべればよかったのか。NHKの討論のように、真面目な顔をしてやれば、不愉快
ではないから、「正しく」「良い」番組なのか。建築系ラジオは、エレベータ・ミュージック(人畜無害なBGM)のように、誰が聴いても当たり障りがない番
組だけを流せばよいのか?作品を紹介するだけの既存の建築雑誌に対するオルタナティブ・メディアが、登場したばかりのパンクやロック、あるいはヒップ・
ホップのように、「良識」的な「オトナ」の反感を買うのは必然かもしれません。文字メディアでは、この笑いは再現できないでしょうし。
笑
いは両義的で、たんにそれを笑いと受け止めて楽しむ人がいたり、馬鹿にしている不快に思ったり、逆に笑いにすることで「こたつ」を救済していると解釈する
人がいて、さまざま。だからこそこのコンテンツは伝染力をもっている。こたつ問題の配信そのものが問題視される状況が、逆にいまの建築メディアの状況を浮
き彫りにしていて興味深く思っています。磯崎新さん・伊藤ていじの八田利也(ハッタリヤ)なんかは、ぼろくそに挑発的な建築批評をやっていたけど、確かに
最近はそういう言説や論争がほとんど表に出てこない。
今回の「こたつ問題」で外に出なかった問題を提起するオルタナティブメディアの新しい動きが見えてきて、個人的には歴史的な出来事だと捉えています。
性善説をもとにした楽観的思考なのかもしれませんが、基本的に、ひとやものを悪く言った言動が影響力をもつとき、まるで鋭い刃を素手で握るように、自分も傷を負うものだと思います。実名で顔が見えるところでそのような発言すれば、なおさらです。
だからといって、言わなければいい、ということではないと思います。
傷つきたくないから、関係をこじらせたくないから、口をつぐむ。本心を言わずに偽善で付き合うようになる。メディアは同じことしか言わなくなり、それが一般論で正解で、それ以外の意見は不正解で、仲間はずれにされたり、発言自体抹殺されてしまう。
そのようなことは、そろそろ終わりにしたいと思っています。何が正解かなんて、権力者が決めるものでも、多数決で決めるものでもない。正解は個人の意思の中にそれぞれあって良いと思う。そして、それを広く発言すること、それをもとに議論を深めていくことをしたいのです。
そういう意味で、「こたつ問題」の配信は確実にメディアの新しい歴史を作っていると思います。
はじめまして。建築系ラジオを聞いている学生です。
彦坂さんの芸術分析は、凄まじいですね。僕はさっぱり分からないです。凡人が分析する時は簡単に分かりやすく分類すると思うのですが、複雑に分類することで、あいまいさをなくしているような気がします。
この姿勢は、芸術に対する妥協を一切ゆるさない覚悟が表れていて、凄まじいです。また、彦坂さんご自身も批評の真っただ中にさらされるという過酷な環境をつくっていると思います。
> リスナーの中にある、他人の批評や非難に対する怯えが、こたつ作家の位置に,自分を置いている
ラジオに出演されている彦坂さんの知識と分析には、ただただ、恐怖感を抱いて聞いています・・・。自分はとても太刀打ちできないと自覚しているからです。怖いです。自分が批評されたら、かなりへこみます。
美術系の方の批評は、かなりキビシいもので意見をハッキリとおっしゃる方達ばかりですので裏表がなく好感が持てました。
僕自身は、こたつ問題の配信には建築系ラジオのコアメンバーの皆さんからの愛情を感じました。彦坂さんがおっしゃるように、通常は黙殺されますよね。とりあげて、影響力がある音声メディアで配信するというのはこたつ作家へ愛の手を差し伸べているように見えます。
彦坂さんのブログを見てリスナーから多い反応が実は、批評に乗っかるような「笑い」に対するものだと始めて知りました。僕の場合は、ラジオの向こう側の皆
さんにつられて一緒に笑ってました。一度も作品の実物を見ていないにもかかわらずです。見てもいないのに笑うのはどうかと自分でも思います。笑いにつられ
る僕のような人や、その笑いに対して不快感を持った人、リスナーの中でも様々な反応がありますね。
「笑う」という行為には、強いパワーがあるんだなと感じました。
ただ、笑いに関する批評は、問題に対する本質から逃げていると僕も思います。笑いがあったから配信はすべきではないというのは、違うと思います。
五十嵐さんの
> こたつ問題の配信そのものが問題視される状況が、逆にいまの建
築メディアの状況を浮き彫りにしていて興味深い
とおっしゃっていることを考えると、建築系ラジオはすごいことをしているのだと再認識しました。専門雑誌が消えて行く中で、高い柔軟性を提示している建築系ラジオの皆さんがいれば、建築業界も立て直せるような気がしました。
彦坂さんの美術系ラジオからの刺激は大変なものです。業界の同じ井の中だけで批評し合っていたのでは気づかない事が多く、肩を寄り添って消えて行くだけのような気がしてきます。
どうぞ、今後もキビシいご意見を宜しくお願いいたします。
武智仁志様
コメントありがとうございます。
批評が消えたという時代が来ていたのですが、最近は再び考え直す時代になって来ています。
情報化社会の批評というものが、メディアを再編しつつ登場して来ていると言うのが、建築系ラジオや、私のブログの問題だと思います。
きゅうりは、批評や問題提起と言う点では、みなさんとほぼ同意見です。
不快さは、
それとはまったく別のところ、すでに発言力・影響力のある方々の行為として(ですのでロックやヒップポップの例示はしっくりこないです)その作法に対して
感じました。恐らく不快感を表した人の多くは、きゅうり同様、今回の問題提起自体は歓迎しているのではないかと思います。
木村静様
普通の私的な日常生活の中での、批判や悪口と言う事と、公的な社会的な責任を持つ領域での、言論や批評とは、次元が違うのです。こたつ作品も、建築系ラジオの言論も、あくまでも公的社会的な責任領域の内容であって、私的なものとは、はっきりと区別される必要があります。
木村静様
再読しました。
私の誤読だと思いました。
理論展開というか、
個人的な私生活と、公的な言論の切り分けが緩いので、
私が誤読をしたのだと思います。
誤読については、お詫びします。
私の場合、どおしても、くっきりと、立ち上げて書こうとするので、
私的なことと、公的な言論の差異を、際立たせようとするので、
その手法の差が、誤読を生みました。
彦坂尚嘉
私自身も、展開が甘いなと感じました。誤読されやすい書き方だと気づきました。ご指摘ありがとうございます。
参加者が笑いながら話をしているのが非常に不快でした。
2度残念な感じです。
by きゅうり (2009-09-04 21:13)