[建築系ラジオ]コメント:35C:越後妻有トリエンナーレ建築系総括「美術と建築の境界をめぐって」を聞いての感想です。(武智仁志)


僕が8/18に送信いたしましたメールの内容ですが、まるで人ご
とのように書いていることに、今になって気が付きました。

僕自身、胸に手をあてて見ると、思い当たるフシがあります。

普段は、サラリーマンとして働いているので、大学の勉強は楽しい
ですし、趣味のような意識で建築の勉強を扱っていました。勉強を
楽しんですることは大切な事なのですが、建築の仕事で社会に出た
後の、その先にある責任と、それに伴うこだわりにまで意識を広げ
ていなければなりませんでした。

現在の建築をつくるプロセスと美術作品をつくるプロセスで大きく
違うのは、案から制作までを自分でできるかどうかが大きいと思い
ます。物が大きいのと、システムが分業になっているだけで、最後
まできちんと責任を持って携わるべきですよね。当たり前ですけど。
設備も、構造もすべて他人まかせだといいかげんなものしか出来な
いのは当たり前なんだろうなと思います。大学のある先生も、「教
祖様系と姉歯系にだけにはなるな。」と言っていました。その点、
美術系の人は、最初から最後まで一心不乱に制作に携わっている印
象があります。

作品をみれば分かるというのは、本当ですね。僕自身の課題作品で
さえ、手抜き箇所はすぐに指摘されます・・・。

松田さんが、建築と美術が近づいてきたとおっしゃっていましたが、
そのおかげで建築の弱いところがハッキリと目立ったのでしょうね。

うちの親父は、昔、建設会社に勤めていて黒川紀章氏の仕事をした
事があったらしいです。構造とは関係ない装飾模様としての大小様
々なサイズの石の並べ方が図面と違うと言われ、やり直しをさせら
れたらしいです。施行側の親父としては、そんな細かい所まで合わ
せられるかっ!と言っていましたが、建築家の手を離れて、他人に
任せるとしても、小さな部分までこだわりがないと、設計者として
の存在意義が消えてしまうからなのではないかと僕自身は理解して
います。出来上がったものに魂が込められないんでしょうね。

職人と呼ばれる人達に憧れをもちますが、やっぱり、こだわりが滲
みでている作品には感動します。

ものづくりに携わるなら、人を感動させられるような仕事ができる
人間になろうと改めて考えさせられました。

それにしても、美術系の方達は、批判をズバズバとおっしゃるので、
聞いていて気持ちがいいです。ハッキリと言われると妙に納得しま
す。建築業界は、この辺の本音と建前はどんな感じなのでしょうか?

また、美術系ラジオも楽しみにしています。

送信日:2009/8/21
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氏名:武智仁志(たけちひとし)
所属:京都造形芸術大学 通信教育部
年齢:36歳
性別:男
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