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【Last.fm】- 五十嵐太郎+山田幸司+玉田俊雄+太田丈夫+田嶋奈保子+中川晋介+木村静+松田達 - 36B: 越後妻有トリエンナーレ特集「『こたつ問題』への伏線」: http://www.l.. http://bit.ly/14a4cX
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今日はひとり。乗り遅れましたが、建築系ラジオ・こたつ問題一連をおともにひとりごはん。
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こたつ問題っていうのが話題らしい。 http://bit.ly/2yQuX
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建築系ラジオで越後妻有トリエンナーレ特集『こたつ問題』 "建築系ラジオから大事なお知らせがあります。" 山田幸司さんによる謝罪会見 http://radio.tatsumatsuda.com/
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建築系ラジオ 越後妻有トリエンナーレ特集「『こたつ問題』への伏線」: http://bit.ly/2O4Uks 昨日、越後妻有で収録したラジオがも.. http://bit.ly/rBx6d
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建築系ラジオのこたつ問題を聞いた。
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ちなみに僕が同意した理由。自分のブログ「こたつ問題」→ http://tr.im/wTAI
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RT @tatsumatsuda: 36B: 越後妻有トリエンナーレ特集「『こたつ問題』への伏線」(MP3形式、35.8MB、52分09秒)五十嵐太郎+山田幸司+玉田俊雄+太田丈夫+田嶋奈保子+中川晋介+木村静+松田達 配信
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こたつ問題。そうですよね。
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こたつ問題はモノ自体の問題に対する議論であるよりも、こういうモノを問題として取り上げる状況に対してこそ議論の余地があるのだと思う。
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こたつ問題が気になって聴いてしまった
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こたつ問題は、空間を視覚的なイメージ(それを体験などと言ったりもする)だけで価値付けようとする昨今の風潮の逆説的かつ極端な帰結である
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とかなんとか悶々と考えてたら不意にこたつ問題を思い出した。うーー
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こたつ問題について、初めて建築系ラジオ聴いたけど。。。聴いたからには何かやっぱりコメントしなきゃダメ?
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五十嵐太郎さんと「こたつ問題」について議論中。
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こたつ問題の配信を聴きながら事務所近くのラーメン屋 家系のつもりってかんじの美味しくないラーメンで結構きつい
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こたつ問題はいい問題提起 考えないとあかんという意味で しかし トリエンナーレって有料なんだ
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. ただいまでやんす NHKの妙にIKEMENな選手達に吹いてるなう、チューハイなう、バーミヤンなう、宝塚なう、きたくなう、FF6のシドのような容態なう、ねーちゃんち なう、新さっぽろなう、バイト終わって研究室なう、こたつ問題なう、銭湯なう、飯食ってリンカーンなう、帰宅なう...
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こたつ問題なう
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まあ、しかし、こたつ問題は、最初にディスったのが大物(建築系ラジオメンバー)過ぎて、ちょっと残念だったな。もう少し小さなところから、ディスる声が上がって欲しかった。(もしかしたら上がってたのかもけど)
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こたつ問題に関するラジオを聞いた。こういうプロレス合戦が業界内で起こるのはおもしろい
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今 帰仁から国頭に移動なう、それと空腹なう、奥さんは朝からもう一回エヴァをみると言い残して去って行きました → 義実家で放置プレイ中ナウ、パイナップルパークなう、明日まで夏休みなう、坂道登り中なう、恋善ナウ、こたつ問題なう、東京駅なう、酒くさいなう、おはよ うございなう...
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こたつ問題なう
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こたつ問題かぁ。
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「こたつ問題」なるものが建築くらすたでちょっと話題になってる。ついったーの効果を実感。はりっきって実現化を試みる大学院生には他人事ではない問題。だが、403はここを問題とした。はず。
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「こたつ問題」コンペで選ばれた作品がひどすぎて問題なるとかいい感じに現代の問題点が出てきましたね!!!抽象化と具体化の差異!
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Link: 35A: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」 - 建築系ラジオ-2部 http://tumblr.com/xkk2q1ppt
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"今回の越後妻有でもっとも驚いた作品。「こたつ問題」と呼ばれ、早くも話題になっている。越後妻有では、建築を専門分野とする方も多く出展していて、建築系のメンバーは主に建築家の仕事を見ていた。その中で起きた問題である..."... http://tumblr.com/xkk2 ...
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こたつ問題とやら月末に行って確認しよう! やはり実際に見ないと!
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こたつ問題だって。
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五十嵐太郎+山田幸司+松田達+彦坂尚嘉+太田丈夫+田嶋奈保子+杉浦貴美子 - 35A: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」: http://bit.ly/3XhfHW http://bit.ly/4vxIp3
2009年8月アーカイブ
「私は最初見つけることができず、娘だけが発見しました。
「「こたつ」あったみたい。」」以下、こちらにて。
「「大地の芸術祭」訪問時(8/3)、まだ完成していない作品もいくつかあった。」以下、こちらにて。
実は、さっきのガンダムの魅力に通じるところがあるのかなって思う。」以下、こちらにて。
越後妻有アートトリエンナーレ
聴く: 越後妻有トリエンナーレ特集「『こたつ問題』への伏線」
(MP3形式、35.8MB、52分09秒)
出演者:五十嵐太郎(建築批評家)+山田幸司(建築家)+玉田俊雄(ギャラリスト、アート・コンサルタント)+太田丈夫(美術研究家)+田嶋奈保子(アーティスト)+中川晋介(アーティスト)+木村静(フリーメディア活動家)+松田達(建築家)
関連URL:
越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭 2009
ツマリ楽園(作品番号176)
僕が8/18に送信いたしましたメールの内容ですが、まるで人ご
とのように書いていることに、今になって気が付きました。
僕自身、胸に手をあてて見ると、思い当たるフシがあります。
普段は、サラリーマンとして働いているので、大学の勉強は楽しい
ですし、趣味のような意識で建築の勉強を扱っていました。勉強を
楽しんですることは大切な事なのですが、建築の仕事で社会に出た
後の、その先にある責任と、それに伴うこだわりにまで意識を広げ
ていなければなりませんでした。
現在の建築をつくるプロセスと美術作品をつくるプロセスで大きく
違うのは、案から制作までを自分でできるかどうかが大きいと思い
ます。物が大きいのと、システムが分業になっているだけで、最後
まできちんと責任を持って携わるべきですよね。当たり前ですけど。
設備も、構造もすべて他人まかせだといいかげんなものしか出来な
いのは当たり前なんだろうなと思います。大学のある先生も、「教
祖様系と姉歯系にだけにはなるな。」と言っていました。その点、
美術系の人は、最初から最後まで一心不乱に制作に携わっている印
象があります。
作品をみれば分かるというのは、本当ですね。僕自身の課題作品で
さえ、手抜き箇所はすぐに指摘されます・・・。
松田さんが、建築と美術が近づいてきたとおっしゃっていましたが、
そのおかげで建築の弱いところがハッキリと目立ったのでしょうね。
うちの親父は、昔、建設会社に勤めていて黒川紀章氏の仕事をした
事があったらしいです。構造とは関係ない装飾模様としての大小様
々なサイズの石の並べ方が図面と違うと言われ、やり直しをさせら
れたらしいです。施行側の親父としては、そんな細かい所まで合わ
せられるかっ!と言っていましたが、建築家の手を離れて、他人に
任せるとしても、小さな部分までこだわりがないと、設計者として
の存在意義が消えてしまうからなのではないかと僕自身は理解して
います。出来上がったものに魂が込められないんでしょうね。
職人と呼ばれる人達に憧れをもちますが、やっぱり、こだわりが滲
みでている作品には感動します。
ものづくりに携わるなら、人を感動させられるような仕事ができる
人間になろうと改めて考えさせられました。
それにしても、美術系の方達は、批判をズバズバとおっしゃるので、
聞いていて気持ちがいいです。ハッキリと言われると妙に納得しま
す。建築業界は、この辺の本音と建前はどんな感じなのでしょうか?
また、美術系ラジオも楽しみにしています。
送信日:2009/8/21
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氏名:武智仁志(たけちひとし)
所属:京都造形芸術大学 通信教育部
年齢:36歳
性別:男
---------------------------------------------------
」
「美術関係者は一様に建築系の人の作品で良いものはと聞かれ、山本想太郎さんの「建具ノニワ」を挙げられていた。」以下、こちらにて。
「五十嵐太郎さんと松田達さんにリンクを貼って頂いたので多くの人が来てくれているのだけど、内容が無くて申し訳ない。」以下、こちらにて。
と身の毛もよだつ怖さを感じます(笑)。でも、厳しいご意見は、
皆さんの愛情と受け止めることができます。
なんの興味もないと、かえって無視されると思いますので、ラジオ
で取り上げられたことにより制作者はより、現実的な行動を意識し
て行動できるようになると思います。陰口でほったらしにされた方
が、同じ手法を繰り返してしまって、優秀なのに(五十嵐さんが評
価していた時もあるので、そうだろうと思います。)つぶれてしま
うと思います。この作品が、建築界の問題を代表してくれたという
意味では、あとの似た事をやっている方達も胸にグサッときたでし
ょうから大問題としてあつかって正解だったと思います。一身に酷
評を背負った制作者の方々は、強くなれると思います。
一方的に判決を言い渡すのではなく、土俵に上がってこいと、山田
さんが促しているのもいいと思います。最初から制作者を招いて収
録すると、多少言いたい事が言いにくかったりする場合もあるでし
ょうから。まずは、受け手の現実的な反応を突きつける。そして、
制作者はそれを受け止めて、経験にする。ハッキリと言ってもらっ
た方が「今に見ていろ〜次はやったるで〜」と奮起するはずです。
仕事として制作していると、次があるかどうかは怪しくなるのです
が・・・。
日本男児なら、受けてたって欲しいですね。いや、学校の課題出す
のがやっとの僕がエラそうに言うのは、なんなんですけど・・・。
プレゼンが上手だとのことですが、現実とかみ合っていないという
ことを考えると、受験勉強や塾を想起しました。希望の学校に入っ
たら、はい、おしまい!という目標の受験勉強は、効率が良いでし
ょうけど、あとで役に立たないですからね。目標が、プレゼンに勝
つということに、制作者の心理として気が付かないうちにすり替わ
っていったのかもしれません。建築の提案は、竣工後に建築がどう
振る舞うかが大切でしょうから。
ちらっと越後妻有アートトリエンナーレのホームページを見たので
すが、どうやら、9月にパフォーマンスをして完成される作品のよ
うですね。白い布のアップリケも、来場者が参加して縫い付けてい
くもののようです。「pop-up-tokyo」さんのブログをみると、白い
布の部分を全てアッピリケで埋め尽くす予定のようです。
つくるのは難しく、できたものにケチつけるのは簡単ですが、結構
高いお金を払って見に行っているので、この作品はキビシいですね。
参加者と共に作品をつくるコンセプトであれば、公開するタイミン
グも作品の完成度を高める手法として選んでよかったかもしれませ
ん。9月のパフォーマンスまでは、黒幕なんかをかけておいて、パ
フォーマンスの時に公開をすると・・・。で、白い布は、コタツと
して完成した場所につけずに、壁にたらしておいて「布をお好きな
形に切って、お好きな場所に貼付けてください」という制作者のコ
メントをビデオで流しつづけておくとか。アップリケ貼付けに参加
した人達がリピータとなってパフォーマンスを見に来る確立も高く
なります。
未完成のものを未完成のまま公開したのがそもそも問題になってし
まったのかなという気がします。ハードだけの提案ではなく、ソフ
ト面も考えないと参加型の作品は難しいですね。
それにしても、SANAA系、石上純也さん系の作品の怖さを思い知り
ました。僕はポエム系と勝手に読んでいますが、シンプルなだけに、
洗練されていないと伝わらないですね。順番に余計なものをそぎ落
とした結果が表れていないと説得力がないのですから。結果だけを
真似る怖さを思い知りました。提案に行き詰まると、無意識でも、
どこかで見た事ある提案をしている自分にたまに気づきます。周り
にながされない強さが必要ですね。そういう意味では、アート系の
大学を選んでよかったのかなと思っています。
「pop-up-tokyo」さん、でてくるか楽しみです。
送信日:2009/8/18
---------------------------------------------------
氏名:武智仁志(たけちひとし)
所属:京都造形芸術大学 通信教育部
年齢:36歳
性別:男
---------------------------------------------------
」
「さて、こういうわけで、これは他の回も聴いておかねばなるまいと思い、「建築系ラジオ」を初めて拝聴したのだったが、それがいきなり「こたつ問題」の番組だった。
35A: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」 - 建築系ラジオ-2部
ディテール侍節が冴えわたる(あとで気付いたが、何気に壁嬢もいるじゃないか)話は面白いが、なんというか。
趣旨はわからなくはないが、「建築」関係者がこれを「建築界の問題」として謝ってみせたりしなければならないのか、という点は、よくわからない。
僕自身は現物を見ていないし、作品自体も参加型で成長するよ うなので何ともいえないが、仮に不出来だったとして、「ダメなアート作品」は単に「ダメ」と評価すればいいのではないか。「アート祭り」に貧相な作品が出 品されたこと自体は、建築の問題というよりも、こうした玉石混交を許容してしまう「アート祭りのシステム」の問題だろう。審査員のリテラシーの問題という べきか。ダメな作品ひとつ見ただけで「建築系はダメな作品を送り出す」なんて思い込むほど来場者がみんなナイーブじゃないと思う。作者が建築系だという理 由で責められるのはちょっと気の毒だ。作者の「属性」というのは「アート作品」の鑑賞や享受においてそんなに重要なんだろうか。どうもこのへんの現代アー トのプロトコルというかロジックというか、扱いの「作法」はよくわからん。
もっとも、提案時のプレゼンテーションを見るに、それはいかにも『洗濯物と植物しか描いていない』系(@藤村龍至)のレンダリングではあって、そう いう意味で、建築系の人たちとしては、近年のこうしたノリの提案が実際は建築物として実現するにはかなりアクロバティックなエンジニアリングが動員された りもする、相当なガッツ(と政治力)がないと「具現化・物体化」しないたぐいのものであるにも関わらず、夢想提案だけはわりと簡単にできてしまうし、そう いうテイストの提案が持てはやされたりするために、キッズが勘違いしてしまう、という、「建築系内部の問題」と受け止めることは可能である。というか、そ れのほうが深刻なんじゃなかろうか。「こたつ問題」は、「建築力を伴わないSANAAワナビーを許す建築コミュニティの問題」なのかもしれない(ラ系のパ ストラル症よりもたちが悪いかもしれない)。
建築キッズたちが引き出しうる教訓としては、「むしろ、いっそ建築の国際コンペとかだったら、投下される資源が大きいために、エンジニアやゼネコン がよってたかって実現させちゃうなんてことも起きかねないが、こういう村おこしアート祭りの場合は、結構あっさりハシゴを外されて放り出されることもあ る」ということを覚えて、気をつけようね。ということだな。
コメント
コメントありがとうございます。
じつは、上記、出展者たちを慰めるというか、少し擁護しようと思って書いたのですが、なんか読み返してみたらちっとも擁護していない趣になっちゃいました。。。 まあ、建築のトレンドは流行り廃りがあるし、それ自体はあまり心配していないのですが。
確かに彼らは少しかわいそうだったかもしれませんね
過去にもダメダメなアート作品はありますから、たまたま彼らが取り上げられただけで、この問題に関しては誰でも良かったのではないかと思います。あえて理由をあげるなら東京大学の大学院生だったということでしょう。後輩でもあり、話が展開しやすそうでもあります。
もちろん、建築系の人々のインスタレーション、アート作品には(もし本気で作っていたとしても)アートをなめているように感じることが多々あり、建築の恥さらしはいい加減やめてほしいと思うこともありますが、
今回のこたつ問題は、これから展開するとすれば石川さんの言う「建築系内部の問題」の方へと行くでしょう。
今まで暗黙の了解の域に誰もが触れずにきたことはおかしなことだと思いますし、建築系ラジオのメンバーの方々は教育者であり審査をする機会も多いですから、それを危惧しているのだとも思います。
な るほど。なんか、建築の人はどこでも「建築代表」な顔をするような気がして、そんなにいつも建築を背負っていなくてもいいじゃんかと(逆に言えば、建築関 係者だからといって何をするにも建築的に評価しなくても、と)思うこともあるのですが、今後、建築内部の問題として、たとえば「あれをセルフビルドの建築 物だと見なしてみたらどうよ」議論になるならそれはそれでありかもしれないと思いました。
考えてみたら、建築系の人々の「緑のデザイン」にはいつも、環境へのリスペクトが絶無というか、植物をなめてると感じることが多々あります。もしかして、建築は隣接分野のみんなに、なめんじゃねえぞと思われちゃう、悲運な領域なんだったりして。
んー、私自身、建築の枠の中にいるのですべての人がそうではないとしか言えません。他分野の人からすれば、そう見えているんですよね
「あれをセルフビルドの建築物だと見なしてみたらどうよ」というのはちょっと極端な気もしますが、
何か自分が作るものへのこだわりや思い入れが軽くなってきているようにも感じます。そして、それを発表した時に起こりうることなど考えるべきことを考え
ず、審査に通るものをつくり、結局自分の建築力は一向についていかない。いろいろなものがどんどん軽くなってきているようにも思います。
「緑のデザイン」についてもそれが言えるのかもしれません。確かにメディアに露出している多くの建築家について私もそう感じています。御存知だとは思いますが、一方で環境をリスペクトして考え作っている人も沢山います。
建築をそう感じて、建築から出て行く友人もいました。それでもなお建築に魅力を感じるから未だに私はこちらにいるんですけどね。
もちろんです。僕も建築に魅力を感じ、多くの素晴らしい「建築系」と接する機会を得ているからこそ、このへんでこんなことしているわけです。
自分は建築業界はよく知らない鑑賞者です。
彼らの他作品を見たことがあり、しかもそれらは結構しっかりとしたコンセプトとクオリティと保っていました。しかしながら今回こういった作品が出品され、なぜこうなったのか?検索しているうちにこちらにたどり着きました。
「建築内部の問題」もあるのかもしれませんが、今回は地方に出て行って制作する事が、彼らの計算と大きく異なっていたのではないかと思います。計算できる事も実力のうちと言われればそれまでですが。
僕も代官山の舗装ベンチなんて良いと思いました(これも実物は見ていませんが)。
鑑賞するこちら側に悪いようなコメントしてるけど、それでもやっぱり鑑賞する側(消費者)を馬鹿にしてない?
途中に聞こえる薄ら笑いみたいのがキモイ!!」以下、こちらにて。
http://radio.tatsumatsuda.com/
http://www.youtube.com/watch?v=vRHOf_fnnT0
http://hikosaka2.blog.so-net.ne.jp/2009-08-15-2
http://www.musabi.com/key_t/archives/2009/08/15_2110.php
http://d.hatena.ne.jp/itu415/20090815/1250337656」
見に来て下さった方に、好きな形に切ってもらった布を、こたつの布に貼り付けていくワークショップを週末毎にしています。」以下、こちらにて。
「今回の越後妻有でもっとも驚いた作品。「こたつ問題」と呼ばれ、早くも話題になっている。越後妻有では、建築を専門分野とする方も多く出展していて、建築系のメンバーは主に建築家の仕事を見ていた。その中で起きた問題である。」
明らかに大掛かりな(と、建築家ならわかるようです)案を出し、コンペで合格し、出展されているが、果たしてどんな風に実現させたのか、と見に行った。
映像を作るうえで、いろいろ考えたが、どんな出来の作品も、予算・規模が違えども、350ほどある越後妻有トリエンナーレの作品の一つであることに変わりはない。
動画リポートのひとつとして、他の作品と同様に扱うこととした。
作品には作家の愛が込められているものだ、と思いたいのだが、きりんの横に置き去りにされた、なんだかかわいそうな状態の作品である。
==
建築系ラジオの収録現場には私もいた。41分と長いが、面白い中でとても大切な議論がされているのでぜひ聴いてほしい。建築、美術だけではなく、モラルの問題でもあると私は考える。
====」
聴く: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」
(MP3形式、28.7MB、41分45秒)
コメント 3
建築ラジオ、面白く聞きました。気になって、ネットで画像検索かけましたが
ようやく1点だけみつけていました。
http://tacumi.img.jugem.jp/20090726_1309284.jpg
彦様の写真は、ディテールがよく見えるので、
議論の中のことがよくわかりました。
先例ということでは、建築系の中よりも、現代美術の中に、
こういうアイディアは、すでに使われていることも思い当たりました。
ザ・プレイのベンチという作品、1971年です。
コンセプトも「その上で人々が出会い、 休息し、通り過ぎるための場」
で、こちらは、上で楽器を演奏したりもしています。
http://www.ne.jp/asahi/ike/mizu/p/bench/bench.htm
彦坂さま
実際の作品は見ていないのですが、彦坂さまの写真や
http://www.echigo-tsumari.jp/2009/artworks/index.php?id=518
にて拝見し、ラジオも拝聴しました。
この作品を選んでしまった審査員(審査というのが実際に、どうやっておこなわれているのか不明)にも責任があるのかなと個人的に思えました。
「こたつを囲んでピクニック。そのプロセス全部が一つの作品だ。」というのも、いかがなものか。これがコンセプトです。と言われるのは非常に困る。
何だか、美術や建築に普段関わらない素人や鑑賞者たちを馬鹿にしているのではないかとさえ思えてきます。
ピクニックするのに、こたつは要らないし、なぜココでこたつなのかも全く分からない。
「大きな掘りごたつ」と案には書かれてあるが、この案の図でも、伝わってこないのですけど。(苦笑)
こたつとしても、デザイン(すでにデザインと呼べる物なのか?)として、これは子供が見ても、こたつでは無いでしょう。
ボランティアさんがいたとしても、このような作品(?)を手伝いたいとは思わない。
ラジオの26分あたりに、これらの例は他にもあるという話には同感できました。
彼らが参加したと言われるコンペに参加をして負けた人たち、他の東京大学院の生徒さん達にも大変失礼な作品(?)だと思います。
しかし、このように公開ラジオで批評を聴けるということが素晴らしい事だと思います。ありがとうございます。
予算が無いのだったら、どうして予算に入り込まないほどの大きな事をしたがるのだろうかと不思議に思えるのです。
そこまで計算できるのも、作家の責任ではないでしょうか。
そんな事を思います。
越後妻有アートトリエンナーレ
聴く: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」
(MP3形式、28.7MB、41分45秒)
出演者:五十嵐太郎(裁判官)+山田幸司(検察側)+松田達(弁護側)+彦坂尚嘉(参考人)+太田丈夫(裁判員)+田嶋奈保子(裁判員)+杉浦貴美子(裁判員)
関連URL:
越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭 2009
みんなのこたつ(作品番号153)
五十嵐太郎のブログコメント(1685 : こたつ問題)
・2003年は一泊、2006年は二泊、今回は三泊です。ただ、2009年は、新しい建築も登場していないし、目玉となる大がかりなアートの新作も少ないために(新作の規模が小さい)、リピーターとしてはやや寂しい。継続して参加している彦坂尚嘉さんの田麦のプロジェクトは変奏させながら、作品を展開し、古民家を解体させるほど、建築的になっていく。日没後にランプで照らされた光景はデヴィッド・リンチの 映画に出てくるような、ぞくぞくする闇に浮かぶ異空間キャバレーとなる。杉浦久子さんの雪ノウチも三度目で、まわりの敷地の変化を思いだしながら、鑑賞。 越後妻有を繰り返し訪れることで、ああこの空き地にあの作品があったとか、今度は作家がこうした手法になったとか、記憶との関連で楽しめるようになった。
・廃屋×アートによるお化け屋敷的な展示は、定番となったが、今年はアンティエ・グメルスが ブナ林を妖怪の空間に変えていた。木村吉邦による江戸のオルタナティブ・テクノロジーをテーマにした理系アートは、越後妻有的ではないが、好みでした。な お、工場跡地に展開した瀧澤潔さんの作品「津南のためのインスタレーション ーつながりー」には、「表層と現象:瀧澤潔のインスタレーション」というテキ ストを寄せました。現地にて配布しています。
・さて、あまりこういうことは書きたくないのだが、mvrdvの農舞台の真横にある大杉哲也+伊藤友隆/pop-up-tokyoの「みんなのこたつ」は、とても良くなかった。個人的に、tepcoの 「アイデア」・コンペの審査員として彼らの案を二度も入賞させたことがあり、そのプレゼンテーション能力の高さはすばらしいと思うのだが、その一方で実際 にモノをつくるという現場においてすさまじい乖離を露呈している。出来ないこと/こだわりがないことを提案するのも良くないし、それを公募で選ぶのもまず いかもしれない(自省をこめて)。なぜ、この作品がまずいのか、いや建築界の問題でもあるのだが、これについては建築系ラジオを収録したので、後日配信し ます。とりあえず、これを「こたつ問題」と呼ぶことにした。」
そもそも建築キッズ達はこのような声を聴いているのか
それでもなおある像を信じ続け、そのまま続けるのか
そして、それは建築キッズだけでなく現在の若手建築家にも投げかけたい問いです。このまま行くと日本の建築界はぼろぼろになるのではないでしょうか